風薫る5月が駆け抜けていく

新型コロナウィルスのおかげで

たしかにあったはずの「春」を

ほとんど楽しむことなく

季節はすっかり夏に向かっています。

 

花が終わったあと、ぐんぐんと新緑が伸びる様子を

季節の爽やかさとともに表現した言葉が

「風薫る5月」

 

香り=ニオイ のこと。

薫り=想像上の香りや、文学的な抽象表現。

 

本来、香りというのは

そこに何か物体があって、しかも湿気をおびていないと

嗅覚でそれをキャッチするのは大変難しいのです。

なぜなら、鼻の中の嗅上皮という場所の粘膜に

香りの成分が溶け込むことによって

ニオイというのは感知されるものだからです。

 

これは、化学的刺激といって、味覚と同じです。

味も、舌にのせてみて、舌の上で溶けたものが

甘いとか苦いとです。

目の前に美味しそうなケーキがあったとしても

味の想像はできても、実際味わうには

口の中に入れて、舌の上で溶かしてみなければいけません。

 

だから、ニオイを感じるには、そのものがあることが

絶対条件なのです。

 

ところが、私たちはしばしば

そこに「ない」もののニオイを感じることがありますね。

 

例えば…

・春のかおり

・太陽のかおり

・故郷のかおり

などなど。

 

それがあるのは、私たちの心の中、頭の中です。

ないとは言いません。確かにある。

でも、目に見えるものではないし

液体じゃないしとてもじゃないけど嗅上皮に溶けることはできない。

 

では、どうして心の中や、頭の中にかおりが存在するのでしょうか。

 

私たちは、香りを嗅ぐと

瞬時にこれは何のニオイだ?

と、判断しようとします。

それは、私たちが生きていくために、危険があるかないかを

調べるため。本能レベルでのことなのです。

 

それと同時に

香りを嗅ぐと、その嗅いだ時のことを記憶します。

 

例えば、スッキリしただとか

眠くなったとか

おなかがすいてきたなどです。

 

また、常に同じ香りを嗅ぎ続けることで

その香りの記憶は場所だとか、風景だとかとともにやきつけられ

脳にやきつけられます。

 

私は、今でも熟す前の青いミカンを想像すると

秋の運動会に家族が応援に来てくれて

お昼休みに校庭のすみにシートを敷いて

みんなでお弁当を食べている風景が頭の中いっぱいに広がります。

運動会のお弁当には、必ずその年の初物の青ミカンを持ってきてくれた母。

果皮の真ん中に親指を突き刺した瞬間、広がるのは思わず口をすぼめたくなるような

酸っぱい香りでした。

その香りが、秋晴れの、運動会の風景を想像させるのです。

 

嗅覚って本当に不思議で、素晴らしいと思いませんか?

 

風薫る5月。

今年は新型コロナウィルス感染防止のためにStay Home!が叫ばれました。

すがすがしい季節を満喫しきれなかったのは残念ではありますが

世間がどんな状況でも、ちゃんと季節は巡っています。

 

まもなく訪れる本格的な夏が

明るく、楽しい季節になりますように。

 

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5月の空